2022年08月18日

京都産業大学にてゲスト登壇させていただきました

こんにちは、意匠京念珠板倉の代表取締役、辰尾由佳です。

昨年から板倉とプロジェクトを進めていただいている、グローカル人材開発センターさまからのご紹介で、5/19(木)に京都産業大学にて講演を行ってまいりました。
京都伝統産業としてのこれからの「念珠」、喜芳工房が念珠を通してお客さまの心にお届けしたい想いをお話しさせて頂きました。
エネルギー溢れる学生さん達が熱心にお話しを聴いてくださり、とても素敵な時間を過ごすことができました。

このような貴重な経験を与えて下さった京都産業大学の中谷教授、グローカル人材開発センターの皆さまに心より感謝申し上げます。

販売チャネルを卸売から小売に拡大

板倉は従来、製造卸をメインに生業を行っておりました。
直接お客様にこだわり念珠を届けたいという想いから、2017年に当Webサイトをオープンし、2019年からは小売り販売(公式サイトAmazon)を開始いたしました。
すべてのお問い合わせに対して、私が直接対応させていただいております。

お客様と接していく中で、おどろきの出来事がいくつもありました。
例えば、Webサイトで喜芳の写真を見て「この人が作る念珠がほしい!」とすぐさまお電話を下さり、その日に広島からお越し下さった方。
「〇〇という珠はありますか?現物が見たいです」とお電話を下さり、翌日に東京からお越し下さった方。
直接お話をお伺いし、オーダーメイドで念珠をお作りさせていただきました。
お喜びのメッセージをいただくと、胸が熱くなりました。

お客様と直接お話させていただくことが増え、より一層「お客様が何を求めていらっしゃるのか」、「どうすれば喜んでもらえるのか」、お客様に近い目線で考えています。

意匠京念珠板倉の成り立ち

念珠師 喜芳

喜芳は私の愛する祖母です。
13才で念珠屋へ奉公に入り、それ以降ずっと念珠を作り続けています。
念珠屋での仕事は大変だったようです。
朝8時~夜の12時頃までぶっ通しで働く。手は年中血だらけ。
大人に泣きついても取り付く島もない。
そんな中を生き抜いた喜芳の技術は私はもちろん、喜芳工房の職人に受け継がれています。

喜芳の幼少期について詳しくはこちら

その喜芳の息子が私の父で、喜芳の念珠を製造販売するために、意匠京念珠板倉を創業しました。
これが板倉のはじまりです。

喜芳は、平成16年に「京都府伝統産業優秀技術賞」を念珠師としてはじめて受賞しました。
「京都府伝統産業優秀技術賞」は伝統産業に従事している者に贈られる賞です。
求められる条件がきびしく、当時は念珠師として受賞した方はいませんでした。現在は、喜芳を含めて3人です。

私の使命

生前の喜芳は私にも念珠の作り方を、時に厳しく、時にやさしく教えてくれました。
しかし…私は家業を継ぐ気は全くなく、そもそも京都が好きではありませんでした。
土地は狭いし…何か意見を言えば「気が強い」と思われてしまう…。
だから、「アメリカなどの海外でのびのびと生きていくんだ!」と学生の頃には漠然と思っていました。

しかし、人生何があるのかわからないもので、
いつしか、私は板倉を継ぐんだろうな、という立ち位置にいました。

「どこで何をするかではなく、今いる場所がいるべき場所。そこで何をするのか」が重要なのだと気づきました。
私に何ができるのか。
喜芳は独自の発想で、今までにない念珠を作ることができる、類まれなる念珠師でした。
喜芳のようになることは、到底できそうにありません。

喜芳は亡くなる数年前に、
「技術は誰にでも教えることができる。想いは誰にでも、というわけにはいかへん。想いはあんたにお願いするな」と幾度となく言いました。
私は、喜芳のそばで喜芳が何を想い、どうやって念珠を作るのか見てきました。

喜芳が繰り返し口にしていた想い。
「この念珠を持つ人が幸せになってほしい。その人のお守りになったらええな」

喜芳の想いを絶やさないように伝え続けることが自分の使命だと思いました。

喜芳の最後の日

喜芳は、93歳で亡くなりました。
93歳ともなれば寝たきりでもおかしくない年齢ですが、亡くなるその日も念珠を作り続けていました。

その日は、念珠を作り、晩御飯を食べて、マッサージの方に来ていただいて…
「心臓が痛い」と喜芳が言ったので、救急車で病院へ。
そして、病院に着く寸前に、静かに息を引き取りました。

その瞬間を目の当たりにしていましたが、悲しいや寂しいといった感情よりも先に「すごいな…」と感心しました。
好きな仕事を最後まで全うする生き方に対して、尊敬の念が上回ったのです。

グローカル学生と二人三脚ではじまったブランド「Hitotsubu Color(ヒトツブカラー)」

グローカル人材開発センターさまから「板倉が受け継いできた『想い』を次代につなぎ続けるためのアイデアを提案せよ!」というミッションで来てくれた学生さんたち。
「板倉の『想い』を次代につなぎ続ける」ひとつの形として、
板倉の余り珠から学生さんたちが新世代の目線でお守りアクセサリーをつくる、コラボレーションブランドを創設しました。

2021年秋にはイベント出展し、多くの方に学生さんたちが作ったヒトツブカラーの作品を手に取っていただけました。
2022年8月にもイベント出展を予定しています。

私たちが一番大事にしていて、届けたいものは「『持つ人に幸せになってほしい。』という想い」です。
数珠の限られた用途を飛び越えて、「持つ人のお守りとなり、その人を守ってほしい」と心から願い作っています。 

多くの方に幸せをお届けするため、時代に合った方法を柔軟に取り入れてまいります。

板倉の「これまで(類まれなる念珠師 喜芳)」と「これから(喜芳の想いを絶やさず伝え続けるために時代にあった方法を取り入れる)」、「私が何を考えて、どう決断したのか」、お話させていただきました。
これから未来に向かって歩みを進める学生さん達に、何か少しでも参考になれば幸いです。