世界にたった3人

念珠師としてはじめて
「京都府伝統産業優秀技術者」に認定された京の名工 喜芳

鍛え抜かれた技術力と、喜芳が仕立てる京念珠の独自性が評価され、京都の京念珠師としてはじめて、平成16年に「京都府伝統産業優秀技術者」に認定されました。

”心棒の棒を折るな”

「どんな難しい数珠でも、全部頭の中に入ってます。
誰にも負けないいい仕事ができるという信念がありますから。私のする仕事に勝つ人はおへん。
やっぱり、一つのことを貫くということが、人間にとって一番大切なことなんじゃないですか。」

新着商品

2023年2月18日

喜芳工房 京念珠 数珠 じゅず 念珠 蛍石 フローライト 8mm玉 正絹房 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/パープル 紫 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年2月13日

喜芳工房 京念珠 数珠 じゅず 念珠 紫水晶 アメシスト 8mm玉 正絹房 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/パープル 紫 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年2月10日

喜芳工房 男性用 ブレスレット 特選 腕輪 念珠 屋久杉 12mm玉 桐箱 & 証明書 付 【 京都府伝統産業優秀技術 】 日本製 ◆ 内周約17cm パワーストーン 天然石 お守り ブレス 厄除け

2023年2月6日

喜芳工房 京念珠 数珠 じゅず 念珠 水晶 クリスタル 8mm (31粒) 人絹 松房 かがり梵天 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/赤 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年2月3日

京念珠 数珠 じゅず 念珠 水晶 クリスタル 8mm (31粒) 人絹 松房 かがり梵天 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年2月1日

京念珠 数珠 じゅず 念珠 水晶 クリスタル 8mm (31粒) 人絹 松房 かがり梵天 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/グリーン 緑 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年1月29日

京念珠 数珠 じゅず 念珠 水晶 クリスタル 8mm (31粒) 人絹 松房 かがり梵天 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 紙箱付 日本製/パープル 紫 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

2023年1月27日

京念珠 数珠 じゅず 念珠 縞黒檀 23玉 虎目石 (タイガーズアイ) 【 京都府伝統産業優秀技術 】 すべての宗派で使える 証明書付 桐箱付 日本製/茶 ブラウン 木 ウッド 手作り念珠 葬式 葬儀 墓参り 法事

京都府伝統産業優秀技術者

府内の伝統産業に従事し、優れた技術をもって、多年にわたりその振興と発展に寄与した者に付与されます。
認定された名工は、年に一度、京都府主催で開催される「京の名工展」に趣向を凝らした作品を出展します。

12歳の頃から80年間
人生のすべてを念珠にささげた

喜芳(きほう)

大正9年京都府生まれ。13才で念珠屋へ奉公に入り、以来、念珠作り一筋に歩む。
平成16年に京都府伝統産業優秀技術賞を念珠師として初受賞。
2017年2月現在、念珠師として「京都府伝統産業優秀技術賞 」を受賞した技師は、喜芳を含めてたった3人。
名工として、平成18年~平成26年まで名工展に創作念珠を出展しており、その独自性は分野内外から高く評価された。
平成25年に死去。倒れる寸前まで念珠を作り続けた。
喜芳の技術と想いは、喜芳工房の職人たちに受け継がれている。

喜芳

「すべては人のために」喜芳の想い

一生の道を示してくれた祖母

祖母はよく「私が早く死んだら、数珠屋さんに奉公して仕事を習いなさい。数珠の作り方を覚えておけば、ちゃんと食べていける。生活していけるようになる」 と言いました。私が小学六年生の時、祖母が事故で亡くなって、身寄りがなくなった私は数珠屋さんへ奉公することになりました。まだ十三歳の時でしたが、私は一途で、他の事はなんにも考えませんでしたね。
奉公はそれから五年間したんですが、その時分の苦労といったら、働く時間が十六時間ぐらいあったことです。朝八時から晩の十二時頃までぶっ通しで、休憩なんてものはない。
手編みをしている手は荒れてくるし、年がら年中血だらけでした。でも、もう仕事ができせん、と言ったところで、主人は聞いてくれるはずもない。そんなもん、誰かて割れるもんや、てなもんですわ。

人間は度胸と努力が大事

私が三十代の頃、遠くのあるお得意先から「二週間で一万三千連の念珠を作ってほしい」と言われたことがありました。一万三千といえば、大変な数です。
でも当時は一緒にやっている人も五人いましたし、一人が一日に二百か三百仕上げたらできると思って、「任してください」と二つ返事をしたんです。
でも、これにはあの喧し屋の社長も驚いて、「そんな返事の仕方をして、大丈夫なんか?」と言わはりますからね。「でも社長。そんなことようしませんわ、と言って渋々引き受けたら、できますか。及び腰ではできるもんもできませんわ」と答えましてね(笑)。これには返す言葉もなかったようで、全面的に任してくださいました。
その間、他の数珠屋さんからは「陣中見舞い」といって、菓子とか果物が次々と届きました。できんかったら、京都の名折れになるさかいに、どうか頑張ってくれと。
私も「できる」と言ったからには、どんなことをしてでもやろう、と。それで期日どおりにちゃんと仕上げて、板倉に頼めばなんでもできる、という評判をとったんです。